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It was a pleasure to present some of my recent research into relational mobility and behaviors on social network sites today, at the University of Centerbury’s Department of Accounting and Information Systems. A big thank you to Dr. Stephen Wingreen for organizing and hosting the hour-long presentation. It was great to hear some of the innovative research him and his colleagues are doing regarding social media and commerce in the 21st Century.

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July 7th, 2010

囚人のジレンマ|あなただったらどうする?

厳密の意味での「囚人のジレンマ」ではないが、以下のビデオをYoutubeは囚人のジレンマの一種として挙げられます。 あなただったら、どうする? (Greg MankiwにHat Tip) 司会者:これは人生を完全に変えるような金額です。半端じゃない金額だと、あなたたちは分かっているだろう。ジャックポットは100,150ポンドだ!今日の最後にもう一つの選択をしてもらう。 男:簡単な選択肢だ。 司会者:今から「Split or Steal」をやります。説明しなくてもいいでしょうが、一応説明しておきます。あなたたちの手元に2個の金の玉が置かれています。玉を開くと、1個は「分ける(split)」と書いてあり、もう1個は「盗む(steal)」と書かれています。そこで、今からあなたたちに意識的な選択をしてもらいます。それは「split」の玉を選ぶか、「steal」の玉を選ぶかという選択です。もし二人とも「split」の玉を選ぶならば、一人ずつ50,000ポンド(670万円相当)に、合計の100,000ポンドが均等に分けられます。一方、一人が「split」、他方が「steal」の玉を選択するのであれば、「steal」玉を選んだ人は全額の100,000ポンド(1,340万円相当)を持ち帰り、「split」を選んだ人は何ももらえず帰ることになる。二人とも「steal」の玉を選べば、二人とも何ももらわず、100,000ポンドが一瞬に消えます。さて、お手元にある玉をきちんと確認しておいてください。どちらが「split」なのか「steal」なのか。確認し終わって、選んでもらう前に、お互いに相談しましょう。 女:さっきあなたが泣き見せたでしょ。それは嘘泣きではなかったでしょ。ちゃんとsplitしてくれるでしょ? 男:絶対に分けるよ。50万だって・・・信じられない金額だ。50万を持って帰っても・・・相当うれしいですよ。 女:あなた本当にわけてくれるの? 男:もし私があなたからこのお金を盗むんだったら、ここにいる皆さんに首がつられるよ! 女:あたしがstealしたら、私の友達みんなムカついて許してくれない。 男:この結果を見る人々は信じられないだろうっ [こんなに二人とも信じあう人がいるなんて] 女:頼むから・・・ 男:目を見てくれ・・・僕は絶対にsplitする・・・ 女:約束して。 男:約束する。私の言うことを信じて。絶対に分ける。 […]

July 6th, 2010

『信頼の構造』-信頼概念の整理

俊男, 山岸. 信 頼の構造―こころと社会の進化ゲーム. 東京大学出版会, 1998 山岸が言及するBarberやLuhmannの議論に目を通しておかないと、信頼概念の整理の必要性はピンとこないかもしれません。私が昨日投稿した「ポストモダン思考と信頼」の記事でわかるように、その記事で私が言う「信頼」は、よく考えたら、かなり曖昧な概念です。知らない人間への信頼を指しているのか、ある程度かかわりのある人間への信頼を指しているのか。それとも制度や組織への信頼を指しているのか。また、相手がやるよ言ってたことをちゃんとやるという信頼を指しているか、やるといっていたことがちゃんとできる能力があるかどうかの信頼なのか。考えれば考えるほど「信頼」という大まかな概念は「信頼」だけではきちんとした定義された概念を指さないようにわかってくる。そこで、上述の文献の第二章の「信頼概念の整理」では、山岸が本文献に言及する「信頼」という言葉の定義を明らかにしようとする。先に私の感想を言ってしまうのであれば、山岸の「信頼」という概念の整理は非常に新鮮でした。 道徳的秩序がもたらす期待の中の、相手の意図への信頼 第二章では、山岸は彼自身の「信頼」の定義を段階的に展開していく。まずは「信頼」の多様性からで整理し、結果的に相手が持つ「能力」への信頼や相手が持っている「意図」への信頼に大きく分ける。そして続いて自然の秩序と道徳的秩序に対する期待の両概念を基準にし、著者が指している信頼というのを自然の秩序に対する「確信」(明日日が昇るだろうという期待への確信)と「信頼」(他者はある属性を持つだろうということの推測上で相手の行動への期待という信頼)の二つの概念に分けた。これはLuhmann (2000)のconfidenceとtrustの区別理論に反映しているように私が思った(Luhmannの理論の概要に参考)。そして山岸が明確にしたのは、彼が扱うつもりの信頼というのは、道徳的秩序に対する期待にかかわる信頼で、さらに相手の能力への信頼ではなく、すなわちバーバーがいう「役割を果たすアクターの能力」に基づいた期待ではなく、相手の意図に対する信頼であると明確にした。 信頼と安心 (pp. 37) 山岸は続いて以下の区別をします。 安心|社会的不確実性が存在しない環境の中で相手を容易に信じることをしめす。 信頼|社会的不確実性が存在する中で相手を信じることをしめす。 ポイント:社会的不確実性の有無は相手の行動傾向についての知識に基づいていて、相手の人間性を見極めるには大きな因子である。もう一度Luhmannの議論に言及すると、社会的不確実性の有無というのはLuhmannが言う「リスク」の有無と同じであると考えられるのではないかと思う。要するに、リスクを認識し、リスクに伴う合理的な選択機能を働かさせることによって、人間は相手の人間性を推測し見極めるわけであるということを推論してもよいのではないかと思う。したがって、安心して何もリスクのない環境の中に長くいればいるほど、自分の「安心環境」に属しない者の意図を見極める知的能力が育成されず、他人を信頼することが難しくなるというふうに推論になるのではないかと思う(これはまさしく山岸の強調である)。 社会的不確実性と用心深さ (pp. 40) […]

July 2nd, 2010

ポストモダン思考と信頼|真理の相対化の影響

合理への確信がもたらした絶対的真理(absolute truth)という概念が近代主義の典型的な概念であったならば、ポストモダン主義は、合理への不確信がもたらす相対的真理(relative truth)というのが典型的です。かつては、テクノロジーが我々人間の生活をユートピア化させるというのは、少なくとも西欧においては、大変希望に満ちた夢であった(Hiebert, 2008 : 213)。メディアテクノロジーを例として取り上げるとしたら、ラジオが取り上げられる。ラジオの登場が、人間・組織・グローバル関係を大きく変容させ、平和を促進するという期待をもたらした。 同じように、インターネットの登場も同じような期待をもたらした。 しかし。 テクノロジーや進歩が急激的に進む中、人権、社会の安全、精神的豊かさなどといった色々な社会の側面において進歩を感じない人が、少なくとも先進国では、1950年代から先、増加してきたといわれている。そしてテクノロジーだけではなく、社会の各集団・制度・概念への信頼および確信も減少しているようである。 「第一世界大戦以降の世界歴史の出来事や成績は、近代主義が約束していた革命・発展・進歩はただの幻想であったのではないかという、騙されたのような疑問をもたらしている・・・近代主義がもたらした産業化及び植民地化の影響によって、言い表せないほど多くの苦難がもたらされた。近代主義者は人間の知恵によって人間社会の諸問題が解決されると確信していたことに対して、ポストモダン主義者はその確信への信仰を失っている。ポストモダン思考者にとっては、人間の知恵は人生の複雑さを完全に整理することができないと確信しているため、人間は現在を活かし、何よりも現在を楽しむべきだという考え方が生まれてきた。」 (Hiebert, 2008 : 213) アメリカやイギリスではキリスト教の教会を離れる20代・30代の信者が増えつつある。その理由は何と言っても教会の教えは現実の世界の問題に響かないからであって、一方向的な概念に信用できなくなったからであるといわれている。その代わりに漠然とした個人主義のスピリチュアリティを要求する人が増えてきているそうである。 これはもちろんアメリカやヨーロッパの、すなわち西欧の、ポストモダン現象を指している。日本はどうであろう。大きな推測ではあるが、第二次世界大戦が終えて、天皇陛下への信仰が破壊された時点では、興味深いのは、社会の諸制度そのもの全般への不信がもたらしたのではなく、私の観点から見たら、天皇陛下への信仰が産業化への信仰に置き換えられたように見える。そしてまた推測だが、21世紀に入ったら、ようやく社会的な定め(人間関係、キャリアー進路、政治制度など)に対する不信が浮上しているような気がする。ひとつの個人的な例だが、私の知人の中、「日本人アレルギー」があると言い張る日本人がいるが、その「アレルギー」とは人間関係が退屈だといって、その「治療法」はフェースブック上の外国人の友達を作り人間関係を持つことだという。 少々話がそらしたが、とにかく、今の時代はミクロでみると、少なくとも先進国においては、伝統的な絶対的な真理(社会の形体、人間関係、組織のあり方など)への信頼が減少してきたような気がする。もちろん実証的な証拠も、調査で測られたデータはないが、現在の社会のあり方(status quo)に不信を持つ人が多ければ多いほど、社会変容がどんどん見られると言えるのではないかと思う。 そしてそれは、一般的な信頼とどうつながっていくであろう。Luhmann(2000)は以下のようにネガティブな展開を提唱をする。 「行為にあたって選択肢が多様である現在社会においては、相手を信頼するには、何らかのダメージを受ける可能性を認識しながらつねにリスクをも認識し、相手を信頼するか疑うかという選択をするにつようがあるのは現状である。いつもこのような複雑な「問題意識」を持ちながら生きていくことによって、我々はそのうち信頼をリスクしなくなる。リスクしなくなると選択肢の合理的な見分けへの能力を失ってしまって、信頼という制度への確信が薄くなり、結局このような悪循環によって我々は完全に信頼を信用しなくなる恐れがある。」 […]

July 2nd, 2010

名古屋大学の前は?

スケートボードと自転車で世界一周していました。2006年6月から2008年11月までの2年間半の単独での旅でした。ギネス世界記録のもなっちゃいました。その2年間半で学んだことは: 世界は安全なところです|私が出逢った人々の99.9%は本当にやさしくて、歓迎的で、とてもいい人々でした。残りの0.01%は酔っぱらっていた。 我々人間誰も有能である|私たちが育ってきた環境によって、自分の能力(知的、肉体的、精神的な能力)に自信を持つようになるか持たないようなる。しかし自分の自信にもかかわらず、我々は思う以上に素晴らしいことができる。夢を持って、しっかりした計画をたて、実行しよう。 コミュニティーは大事|私は「単独」で旅をしましたが、一人ではなかった。ブログやフェースブックやBBSを通じて、ほかの人と接して、自分がやっていたことの意義を感じました。ブログへコメントをする人から励ましをもらう一方、私はブログを読む人々へインスピレーションを与えたそうです(当時自分はそんなにインスピレーション的ではなかったと思っていたが)。

July 1st, 2010

『おくりびと』

週末に2008年作の『おくりびと』という映画を観ました。そうとう感動しました。僕が死んだら、日本の納棺師に納棺を頼みたくなった・・・この映画はある意味で日本での部落問題をハイライトする映画です。本当に感動でした。

June 30th, 2010

Luhmann (2000) – 確信(信用)と信頼

山岸(1998)の『信頼の構造』の第二章に社会学者のLehmannの信頼についての理論が取り上げられましたので、ここで簡単に整理してみます。山岸が言う通り、非常に抽象的で分かりにくくあります。主に西欧の近代発展に基づいた議論なので、「日本」という、啓蒙運動がなかった国では、確信や信頼への意識の形成は以下とは違うはずだと思います。とにかく、頭だいたいです・・・ 主なポイントの整理 信用(確信?) – Confidence 世の中(常識)への期待・希望をあらわす(政治家が誠実に民のために働くこと、車が突然に故障しないことなど)。そう信用しない(確信を持たない)と―すなわちいつも最悪条件のみを考えると―人生は進まない。自分が持っている確信がもたらす期待は内心の希望に応えない可能性はなくはないが、人がその確実性に頼る傾向がある。 他の選択肢を考慮しないで(あるいは選択肢がないと思い込んでいて)行動をするのであれば、それは信用(confidence)である 確信の場合、元々期待していた結果が生じない場合、外部の因子を原因にする。 信頼 – Trust 人が認知的に状況とかかわり、リスクがあるということを認識する必要がある。 いくつかの選択肢の中から選んで行動するのであれば、それは信頼である 信頼の場合、期待された結果が生じない場合、内部(自分の選択過程など)の因子を原因にする。したがって、信頼は後悔を導くゆえに、悪結果が後悔を導く可能性がなければ、それは信頼ではない。 歴史的な背景 見慣れ・確信・信頼 – Familiarity, confidence, trust […]

June 29th, 2010

『信頼の構造』―信頼のパラドックス

俊男, 山岸. 信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム. 東京大学出版会, 1998 上述の文献の第一章の「信頼のパラドックス」の要約です。明日は第二章や私のそこまでの解釈です。 第一のパラドックス|「信頼が最も必要とされるのは、「常識的」には信頼がもっとも生まれにくい社会的不確実性の大きな状況においてであり、また「常識的」には信頼が最も育成されやすい安定した関係では信頼そのものが必要とされない。」(pp.16) 第二のパラドックス|安定したビジネス慣行に置かれている日本の「信頼関係」の重視は、日本社会においての社会関係が信頼に基づいているという判断をもたらす。しかし、研究によれば、日本社会は信頼で動いているという期待は現実に添っていない。逆に、社会的関係に信頼が低いと期待されるアメリカ社会(細かく物事を規定する契約書などの豊富ば社会)よりも、日本社会においての対人(他者に対しての)一般信頼の尺度は低いと実証されている。 第三のパラドックス|賢しく、世間智の充実した人間は他者を容易に信用したりしないという常識の否定にある。その理由は: 情報に対する敏感さ実験|高信頼者は、低信頼者よりも、相手は信頼できる人物であるかどうかを示唆する情報に敏感である。パラドックスは、他者を信頼しやすい者である高信頼者は、予想とは反対で、相手の信頼性に関してネガティブ情報があればあるほど、低信頼者よりも相手を信頼しなくなることである。 「見極め」実験|相手が発信する手がかり・情報などを分析し、信頼できる人なのか信頼できない人なのかを正確に見極めるのは、高信頼者の人である。

June 25th, 2010

社会資本とインターネット利用

今週行われている2010年度International Communication Associationの国際会議では、以下の論文が6月22日に発表されました(http://icaconference.wordpress.com/2010/06/22/mediaandinternetuse/): Maurice and Pelzer Ben, Vergeer. “Consequences of media and Internet use for offline and online network capital […]

June 25th, 2010

ICA2010|新しい学者が公刊できるようにすべきトップ10のヒント

2010年度のInternational Communication Association (ICA)の国際会議から、6月24日の出版ワークショップのポッドキャストが公開されました。 リンクはこちら:https://icaconference.wordpress.com/2010/06/24/10-things-new-scholars/ 新しい学者が公刊できるようにすべきトップ10のヒント 10番目のヒント|機会がある度に、ピアーレビューに参加すること(レビュー者になる)。そうすることで、自分と同じ専門領域での同僚がどのトピックを取り上げているかを知り、自分の研究・成長に役に立つ。 9番目のヒント|専門家のように論文を書く。すなわち、論文を書く際、かならず研究分野で重要とみなされている理論に十分言及しながら自分の研究を発表すること。 8番目のヒント|特定の調査の範囲での結論だけではなく、研究分野全体(広範囲)への影響を考慮しながら議論をまとめること。「一つの木を研究しているにもかかわらず、森を忘れるな」。 7番目のヒント|仮説をじっくり考え、仮調査を行い、論文で議論する内容に一致性に注意すること。調査結果に矛盾が生じる場合、無視せずにちゃんとその矛盾に言及すること。 6番目のヒント|ピアーレビューの過程を訂正サービスにしないこと。原稿を出版の規格に合わせてから提出すること(参考文献の形式に注意したり、文法の訂正を完了させたりすることなど)。 5番目のヒント|論文の内容にあった刊行物に提出すること。文献検討の論文は文献検討の刊行へ。実験の論文は実験論文を扱う刊行へ。提出刊行物の基準に基づいて論文を書くこと。 4番目のヒント|研究・調査・実験を投資として考えること。将来のキャリアーに役に立つからである。Research Questionを多様化することも忘れないように。 3番目のヒント|多作な学者と共同研究をすること。すなわち、そうすることで、いい習慣を身につけ、産出力を上げることができる。自分の研究アイデンティティを築いていくことも、共同研究を通してできる。 2番目のヒント|自分が書いた論文を読む(レビューする)だろうと予想できる主筆やピアーレビューの学者を想像し、主筆の念頭にありそうな疑問・理想・意見を予想しながら論文を書くこと。すなわち、研究分野におかれている者たちに聞かれるそうな質問・疑問を、できるだけ聞かれる前に論文で十分取り上げること。 1番目にヒント|初期のピアーレビューの返事を「最初の一言」として捉えること。レビュー過程は「過程」だから。最初のレビューが厳しくても落ち込まないように。拒否やレビューはより優れた論文をもたらすからである。

June 23rd, 2010

CMC諸理論と自殺サイト

先日、入試のためにCMCの諸理論をまとめた文献を探していたら、以下の論文を偶然に見つけました: 新, 末木. “双方向自殺サイトの相反する心理的効果に対するCMC諸理論による意味付けと今後の展望.” Bulletin of the Graduate School of Education the University of Tokyo 49, no. (2010-03-10): 277-284. なかなか扱いにくいトピックではありますが、CMCの諸理論をとてもわかりやすく説明してくれるので、一応入試の準備や自分の理解(これは主)のため、ここで要約してみます。ちなみに、末木氏(東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース博士課程)のホームページはこちら:http://d.hatena.ne.jp/sutare/ […]