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この前、1985年に出版された「Amusing Ourselves to Death(死ぬほど楽しみ※)」という本を読みました。主流のメディアの属性が人間の考え方に大きな影響を及ぼすというテーマが主でしたので、著者の ニール・ポストマンの議論を基づいて現在のソーシャルネットワーキングのブームの影響について少し考えてみました。

※『Amusing Ourselves to Death』の日本語の概要はこちらが参考になるかもれません:http://bchuukai.seesaa.net/article/126035885.html

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大昔から人間は、それぞれ属していた時代に適した媒体を通じて、「真実」を知ってきたことは間違いない。文化とは何か、自己とは何か、人間という存 在は如何にあるべきかという「真実」あるいは「真理」さえも、ある時代や社会の主流メディアによって伝えられたゆえに、そのメディアの属性によって、伝え られていく真理の属性または質が大きく違ってきたのである(Postman 2006: 24)。また、情報の門番である者の属性により、どのような事実がどのように伝えられるかということも決められてきたのである(White 1997)。ここで簡単に提起していきたいのは、ソーシャル・ネットワーキング・サイト(以下、SNS)は、今までの情報及び「真理」の媒体と同様に、真 理を知る方法として特定の属性が結びついていて、今まで人間が経験した認識方法の中で、第三者からのノイズ及び影響からより守られている媒体として起こし てきていることである。世界史をたどって3つのメディア革命に触れてSNSとの比較をしながら認識方法としてSNSの独特な属性を提案し、コラボレーショ ン文化の結果として生み出していっていることも提起する。

口頭社会において真理を知る方法
小規模口頭社会の多くは部族社会であって(Hiebert 2008: 105)、真理の主な持ち主は族長や長老である。従って、真理の門番及び伝達者の役割も彼らにあるわけである。ことわざや神話を通じて、当部族の文脈での 集団同一性や個人の自己同一性、文化的アイデンティティ又は「人間とは何か」という定義を表現する表象が、部族員に伝えられていくのである (Hiebert 2008: 120, Postman 2006: 18)。影響として、文字のない口頭社会の成員にとっては、真実とは非常に直観の存在であると言えるであろう。すなわち、何が真実なのかという問いに関し ては、参考の源は大変身近なものである。真理の伝達モデルとして、自分が属する集団の偉い者が神話やことわざという表象を通して「あなたはこうであり、あ あであるべき、これが真理である」と主張し、集団の成員はそれを絶対的真理(absolute truth)として受け止める。

文字や活字を媒体として
口頭社会を対照に、活字の登場は「直観やローカル意識の支配から人間を解放した」(Lewis Mumford, in Postman 2006: 33)。真理となる諸概念はローカルを乗り越えた対話の対象となり、かつて時に流されてしまった話した言葉が文字で残されることよって言葉が時に凍結され て細かく分析されることが可能になったわけである(Postman 2006: 12)。すなわち、複雑なレトリックが長い散文に残され、テレビの登場までは、活字に残されたレトリックが真理(人間、政治、宗教などに関する真理)に関 する日常的な討論の中身となり、その活字が起こした討論や対話が言わば真理を知る方法となったわけである。すなわち、真理の伝達モデルとして、本の著者が 「これが真理だと思うが、どうだ」というふうにページ上に読者との真理に関する対話を招くわけであり(Postman 2006: 50, Carr 2010: 72)、それゆえに読者はゆっくり言葉を読んでいるわけだから、じっくり熟考する余地があるのである(Carr 2008)。

テレビを真理の認識方法として
テレビの登場は真理のマス伝達を可能にし、真理の持ち主という立場を多数の市民や著者から営利を目的とした限られた数の会社へ移したのである。 「視聴者に娯楽を提供することがテレビの最高使命である」(Postman 2006: 87)なので、当然テレビ視聴が増加することにつれて、人間は益々娯楽に向かって真実又は人間のあるべき姿への導きを求めるようになってしまうわけであ る。真理の伝達モデルとして、テレビ局が門番役を果たし、娯楽の基準に満たせば情報を流すことによって、ある特定の種類の真理しか伝達しなくなるわけであ る(White 1997)。それゆえに、「現代文化はテレビを通じて自分を知る」(Postman 2006: 92)ので、真理を認識する場を主にテレビという媒体にすることで、豊富かつ充実した真実に触れ合うことが益々難しくなる効果が考えられるであろう。 「(テレビニュースによって)人間としての体験又は感じたことが軽視されてしまう」わけである(Hiebert 2008: 234)。

素直な、充実した人間性に満ちた真理の共有の場としてのSNS
SNSの圧倒的な普及によって、ある意味では我々人間は口頭社会の主な特徴の「直観性」に戻ってきたともいえるのではないだろうか。SNSやイン スタント・アップデート及びつぶやきは、「直観性への新たな主張を生み出した。友達・同僚・好きな芸能人などからのステータス更新は更新されてからまもな く新奇性を失うのである」(Carr 2010: 158)。というのは、SNSのユーザが登録してある「フレンド」及び「マイミク」などの人々は主に既存の「現実世界」の社会資本に構成されていることが 検証されているが(Boyd in press)、このように、真理が再び身近な形で知り、認識することができるようになったのではないだろうか。すなわち、何らかの第三仲介者を媒介して知 るのではなく、直接我々の身近な者(ネット上の部族だといえるのだろうか(Boyd 2007))から上述のステータス更新という、人間としての体験記録の言わば生中継で、経験、情報、感情、思想などといった真理の含んだ要素が流れてきて 知るのである(Dede 2008)。

SNSで流れてくる情報の圧倒的な量によって活字しかなかった時代と比べては、アップデートの関係性がすぐさまに去って行き、流れてくる情報をじっ くり熟考して情報と深く相互作用する余地が比較的に少ないのであるが、テレビだけが主な情報源であった時代と比べれば、今まで見たことのないコラボレー ション性がSNSによって実現されていると考えられるであろう。あえて、上述の3つの真理認識方法よりはるかに、SNSの登場によって真理の門番としての 組織やパワー・ギャップが崩壊され、ある特定の権限のある送り手から受動的な受け手へという情報伝達モデルがSNSによってコラボレーション文化に置き換 えられたともいえるのではないだろうか。ニューメディア理論家のClay Shirkeyがそう提起し、「プロのジャーナリストという言わば特権を持つ階級が今まで信頼すべき『truth teller(真実を伝える者)』として存在してきた。確かに今でもそのプロ精神が望ましいが、現在はプロのジャーナリズムという組織的モデルが、組織を 乗り越えるコラボレーションモデルに置き換えつつあり、コラボレーションによって少数派の意見や洞察が討論の中心に存在することができるようになっ た」(Shirky 2005)と主張していて、真理というのは権力者ではなくユーザによって定義されていくことが可能になってきたわけである。

ジャーナリストであろう、族長であろう、高学歴のある著者であろう、そのような地位を支える組織や社会的な決まりが、インターネットやSNSが可能 にしたコラボレーション文化の存在する環境においては、真理の独占権が弱まってなくなってしまいつつあると考えられる。すなわち、「動機は共有すること で、テクノロジーがそれを可能にするもの」(Shirky 2010: 79)であって、身近な情報プラス身近な発信者プラスリアルタイムの情報提供という3重組み合わせによって、SNSはまるで完全に見直した真理を知る方法 であり(Hiebert 2008: 258)、人間が自己、周りの環境、世の中、世界を認識し、整理し、処理するための情報を取得する認識方法として新たな登場である。

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