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自分の日本語での作文の練習として、金先生がメールで配れた英語の文献についての感想・要約を書いてみました。とても興味深く読みました。賛成したところがあれば、賛成しなかったとこともありました・・・

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Miike Yoshitaka, “Japanese Enryo-Sasshi Communication and the Psychology of Amae: Reconsideration and Reconceptualization,” Keio Communication Reivew, No.25, 2003

文献のカギ概念:メサ察し

「[メタ察しは]伝達者が採用しようとする甘えの質や量を、伝えようとする意味をコード化してり受けたメッセージを解読したりする前の時点で、内面的に推量する過程である。」(pp.102)
“[meta-sasshi is] intrapersonal guesswork about the quality and quantity of amae that the communicator engages in before she or he encodes the meanings and decodes the messages in the communication process.” pp.102

この「メタ察し」という概念は、比較文化心理の分野にとって大変重要な貢献をする概念だと思う。なぜならば、文化を超越するからである。「甘え」を するかしないかではなくて、ある文化・個人はどの程度の甘えを採用するかというふうに考えればよいようになる。要するに、文化の違いを強調することではな くて、全部の文化が共有する要素を強調し、人類の統一感を育む役割を果たしている。日本人という国民は甘えを重視し、西洋の人は重視しない、というところ で話しが途絶えたら、狭義の異文化理解は進んだことには一応なるが、健全な異文化間交流にはつながらないだろうと思う。文化共通の精神要素であるメタ察し を出発点としたら、私たち人間は根本的に一緒であり、とても根本的なレベルで共通するところがあると強調できるようになり、その一体感を土台として、表面 で現れる文化の違いを、人間同士でもっと感受性を意識した上で、寛容性で満ちた環境の中で人間経験を分かち合うことできるようになるはずである。

例を挙げよう。ニュージーランドの場合は英語圏の国の中でもかなり独特だと思う。一般のニュージーランド人は国の最高値である総理大臣に対面で会っ たときでも、おそらく誰でもファーストネームで挨拶するだろう。それは彼が特別に気の置けない様な性格だからではなく、ニュージーランド「文化」そのもの は遠慮や礼儀を好ましくなく考えるからである。言い換えれば、メタ察しの概念でいうと、大抵の場合は、自分が伝えようとする意味をコード化する前の時点で 相手に意味を推論してもらうように意味をコード化するのではなくて、相手がそのまま自分のメッセージを受けてくれるだろうと推測し、低いレベルのコード化 を採用することになる。要するに、ヨシタカ氏がいう2つのレベルの甘えの「Message-accepting」(メッセージの受入)の作用が、ニュー ジーランド人のメタ察しの結果のほとんどである。

ヨシタカ氏が挙げる甘えの2つの要素を見てみたら、大体このようになっている:

甘えの質
「メッセージの拡大」(Message-expanding)
「メッセージの受入」(Message-accepting)

甘えの量
「暖かい」
「冷たい」

「甘えの量」はのところは、ヨシタカ氏が具体的に量の測り方を挙げていないので、私が簡単に2つの変数を当ててた見た。「暖かい」というのは、相手 にいっぱい甘えられたいことを指摘する。例えば、日本の場合、目上の人に話す特暖かい気持ちを伝えるために遠慮をし、相手に意味を推測してもらうこと。そ して「冷たい」というのは、相手に甘えたくなくて、距離を置きたいことを指摘する。比較の例を挙げてみれば、このようなことになるのではないかと思う。

例:ニュージーランド人がニュージーランドの総理大臣に対面する
甘えの質:メッセージの受入
甘えの量:暖かい

例:日本人が日本の総理大臣に対面する
甘えの質:メッセージの拡大
甘えの量:暖かい

例:ニュージーランド人が他人に対面する(公の場で)
甘えの質:メッセージの受入
甘えの量:暖かい

例:日本人が他人に対面する(公の場で)
甘えの質:メッセージの拡大
甘えの量:冷たい

例:ニュージーランド人が信用できない知人に対面する
甘えの質:メッセージの受入
甘えの量:冷たい

例:日本人が信用できない知人に対面する
甘えの質:メッセージの受入
甘えの量:冷たい

一見で、ニュージーランド人はまったく状況を読まないように見える。どのような場合でもストレートで話し、相手との距離をなくそうとするように見え るが、それはワザトにそのようにしているわけである。もちろん上の例は非常に単純化した例であるが、ニュージーランド人は(理由はよくわからないが)とに かく礼儀のないこと、遠慮のないことを尊重するのである。ニュージーランド人が甘えの量を「冷たい」レベルで採用する場合1つとして、自分が相手を、特定 の理由(過去のかかわりがあったなど)のため信用できない場合であったら、メタ察しのレベルで「メッセージの受入」(はっきり言って)や「冷たい」(他人 との距離を置く)といった甘えの質と量を採用する。

このように、日本人でも、ニュージーランド人でも、状況を読んで甘えの量と質を測定し行動をする。なので、ヨシタカが書いたいかのことに賛成できない。

「メタ察しそのものが全世界共通であるものの、メタ察し能力は文化による」(pp.106)
“Meta-sasshi is universal, whereas meta-sasshi competence is culture-bound” pp.106

これには問題があると思う。ニュージーランド人はメタ察しをしないわけではない。日本人と同様に、無意識的に、相手によって、相手に伝えたい気持ち や、自分が期待している相手との関係の形などを察してコミュニケーションをするからである。間違って察したらニュージーランドも日本も、同じ結果だ出る。 自分が冷たいと判断されたり、逆に空気の読めない、愛情を希求しすぎのような(needyな)人に思われたりする恐れがある。

上述の議論を考慮すれば、「メタ察し」は本当に文化的なレベラー(均等化させる概念?)である。ニュージーランド人は人間相互関係では、根本的なレ ベルでは少なくとも日本人と同じような心理過程を作用している。このような根本的な共通点があるというのは、異文化間の交流・相互理解を考える上でとても 大事な軸ではなかろうか。

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