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先進国に住む人々は自由な時間は豊富だ。半端ではない。どう見てもこの辺に関しては我々は恵まれている。そしてインターネットが登場するまでは、この時間をどうやってつぶしてきたのだろう。その恐るべき大部分はテレビ番組を消費することでつぶしてきたのである。50年代の人は今までの人生で5万時間ほどのテレビを見ていると著者Shirkyが計算している。もし先進国の20億人分のテレビの総合視聴時間のわずか1%が個人又は公共の貢献に使うことができればどうなるでしょう。実は、今までできなかった、作れなかった、貢献できなかったことは、ソーシャルメディアの登場によって可能になってきたのである。Clay Shirkyの2010年出版の「Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age」はその可能性について書かれた本である。

Shirkyがいうには、「メディアとは何か」、「メディアが我々のためになにをもたらしてくれるのか」、「どうやって生産されるのか」、「だれがどのように消費するのか」という様な問いの伝統的な答え(メディアは大量の資金のある者しか生産できない、メディアは消費するものだ、一般消費者は受動的にメディアのメッセージを受け止めるなど)はただ偶然に現れてきた答えだといえる。しかし人間の本質は、物を消費することではないと彼が言い張る。今までは一般の人間はメディアをただ消費するだけなのだという意識は、人間が今までグローバルな規模で創造性を共有することができなかった状況の制限から生まれてきた意識であるとShirkyがいう。自分がなんらかの物事や目標に対して熱情を持っていても、それを実現し支えてくれる人的資源が自分のローカルの身の回りにいなかったり、その資源がいるとしても広域的な放送及び伝播をするように巨大の資金や投資が必要だったりしていたのである。しかし、ソーシャルメディアはその状況を大きく変えたとShirkyが主張する。我々がいる世間には、共有したり創造したりするモチベーションや機会を傷害する障壁はもうなくされているのだと。我々が住む世の中には、他者とつながりを持ちたい、他者と経験や創造物を共有したい、というような本質的な意欲を活用することが可能になったわけだ。そして今現在、我々はメディアの旧モデル(共有の高コスト・独占的メディア)から自由に無料で共有したり創造したりできるモデルへと開放したばかりの時代に生きていて、まだ社会がその変わり目の段階の中で混乱しているとShrikyが提唱する。Shirkyがいうには、20億人に無料でどこでもいつでもだれでも情報が発信できる事実が実現できた現実に対して、まだ我々がめまいしていて、理解しようとしている段階にいる。「どうして人は無料で、あるインターネット上の事業に時間や努力を寄付するのだろう」という問いが存在すること自体が、今の混乱の状況を証明する。このような疑問の存在さえ、何が人を動機付けるのかという前提がまだ旧メディアの考え方に根付いている証拠だとShirkyがいっている。要するに、旧メディアのモデルでは、メディアを生産するには金が必要だし設けるためにメディアが存在するから生産に関わる者なら金儲けが主な動機だろうという前提が、まだニューメディアの動機を考えるときに我々の理屈に影響を与えているわけだ。

このようにして、Shirkyが、我々はメディア革命の最中にいることを強調し続ける。Wikipedia.orgUshahidi.comPatientsLikeMe.com、Apacheなどのようなコラボレーションがうまく行っている例を挙げるが、多くの貢献者からの小さな貢献がグローバルな規模で融合していて、結果的に雄大な総合的な価値や実用性に変わると論じる。そして貢献する人たちが共有しようという動機は、今まで眠っていた本質的な動機で、現在の新たなメディアのツールが現れてきたことこそその動機が起こされた。

Shirkyはこの革命がもたらす困難やチャレンジをけして知らないわけではない。「lolcat」を収集するサイトのICanHasCheezBurger.comを例に、「UshahidiやWikipediaの本当に価値のあるような事業の一本に対して、軽薄でみだらなユーモアの目的しか持たない馬鹿な事業が数の数えないほどあるのだ」(p. 17)と注意している。そして公共的に有意義で効果のある事業を支える人材を調整するのがなかなか難しいことを認めている。ソーシャルメディアの存在のお陰で個人又はグループに行動能力が与えられていて目標に沿った動機があるとしても、必ずしも公共的な貢献が実現できるとはいえない。ソーシャルメディアは万能薬ではないということを言っているわけだ。したがって、我々には選択肢が与えられている。それは、砕けた創造物を共有することに自由時間を燃やして「結果的にlolcatができるけどオープンソースソフトウェアーができなく、fan fictionができるけど医療研究の発展はない」(p.181)状況を選択するか、効率的な共同創造性とは何かという問いを取り組みながら個人的な動機をもつメンバーと共同に有意義な公共事業を実現しようとするかという2つの選択肢である。Shirkyが、「グループ効率性を実現し、維持することは、この時代の重要な課題のひとつである」(p. 181)と。

このような結論はもちろん革新的な洞察とはいえない。どんなボランティア集団でも異なる個人性や動機をうまく妥協し、メンバーが個々人満足できるように、グループの効率を上げようと努力するわけだ。しかし、Shirkyによれば、グローバル的につながっているソーシャルメディアが持つ力は、あるグループが創造する価値は自分たちの個人的な価値又はローカルな価値だけではなく、グローバルな価値になる可能性がある。グローバルの規模でつながっている社会的動機にメンバーたちの個人的動機よりはるかに超えたモチベーション力があるから、もっと有効的な活動ができる可能性があるといえる。

「Cognitive Surplus: Creativity and Generosity in a Connected Age」は別に革新的な発想を披露しているような本ではない。かえって、今現在起こっているメディア革命に対してどう考えればいいのかを提案する本である。それは概して、旧メディアの限界や制限によって偶然に抑えられてきた人間の本質的な動機は、ソーシャルメディアによって活用される機会が与えられ、効率的に表現できる能力も与えたわけである。当然ながら、その新たな状況を公共的な貢献のために利用するかどうかは私たちユーザ次第だ。

※この本の内容を語るShirkyはここでも読めます:http://www.aoky.net/articles/clay_shirky/looking-for-the-mouse.htm

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